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B成形方法によるれんが表面の違い
れんがは、少なくとも1面の長手と2面の小口が平滑に磨かれていなければなりません。この3面をれんがの表と呼んで、この3面のいずれかが積み上げた際、表面に出てくるのが正統な積み方です。

真鍮製手抜き成形工具(村松コレクション)今日生産されている機械製ワイヤーカットのれんがでも、この裏と表の区別があります。れんがを構造体として積み上げる場合、平(れんがの一番大きな面)は絶対に見せないものです。したがって平の面は特に仕上げられていなくともよいのです。

手作業で成形していた時代には“撫で板”でれんがの平を平滑に仕上げていました。れんが成形機械(『大阪窯業株式会社 五十年史』)

これに対し機械成形では平の面をピアノ線で切断するため、ピアノ線の跡が縮緬状となります。この肌合いは明瞭に見分けることが出来ます。

ゆで卵をワイヤーカットでカットする、台所で使う卵切り器をご存知でしょう。卵の黄身がザラついているのと同じように、れんがの平の面が縮緬状にザラついているのが機械製のれんがの特徴です。

Cれんがの形状
基本形の普通煉瓦はオナマと呼ばれるます。全く加工していない、手が加えられていない状態からこう呼ばれるのでしょう。その半分の大きさは半桝。縦方向に2本に割ったものは羊羹、その半分の長さは半羊羹です。オランダ積(イギルス積の変形)の角の部分に用いられる3/4の長さのれんがは七五、逆に1/4のれんがは二五分。アーチ部を構成するのは迫持煉瓦です。れんがの呼び名
このほかに形状として特異なものに角丸煉瓦があります。人の行き来が激しい出入り口の脇などに用いられる角の丸いれんがです。迫持煉瓦と、この角丸煉瓦のほかは、普通煉瓦(オナマ)かられんが職人が現場でハンマーを使って作ることが多いようです。

わが国におけるれんがの歴史は、小型化の歴史でした。れんが積職人は右手にモルタルを扱う鏝を持ち、左手1本でれんがを積みます。このためれんがは片手でつかむことのできる大きさ(幅)でなければなりません。れんがの大きさは人の手の大きさによって決まるのです。

日本へ伝えられた初期のれんがは、現在のものに比べて大振りの品が目につきます。幕末や明治初期のれんがは、西洋人の体格に合せたサイズをそのまま導入したからでした。れんがの近代化は、概ね平の面積を小さくして、逆に厚みを増すことでした。

当初は建築物一棟ごとに決められたれんがの寸法(特注品)で注文に応じて製造していましたが、明治後半ともなりますと大量見込生産の時代を迎えます。その結果、1905年(明治38)の時点では全国のれんがは5種類の寸法にまとまったようです。

即ち並形7寸4分×3寸5分×1寸7分5厘(224×106×53m/m)、東京形7寸5分×3寸6分×2寸(227×109×60.6m/m)、作業局形7寸5分×3寸6分×1寸8分5厘(227×109×56m/m)、山陽新形7寸2分×3寸4分5厘×1寸7分(218×105×52m/m)、山陽形7寸5分×3寸5分5厘×2寸3分(227×107×70m/m)の5種です。

東京形はその名のとおり、東京で作られ始めたれんがです。山陽型は山陽鉄道会社で初めて製造された型で、水平目地の幅を入れて1段の高さが3インチになる大きさです。並型は関西波形とも呼ばれ関西地方で製造開始されました。作業局形は1897年(明治30)に発足した逓信省の鉄道作業局で製造されたサイズです。どれも今日のれんがよりも大きく、厚さは薄い物の方が多いのです。

やがてれんがの規格を全国的に統一しようという意見が出されました。尺寸という長さの単位をセンチメートルに読みかえようという主張のもとに、れんが工とくに手伝いの女子人夫の手の大きさから見て現状よりも小さく、しかもセンチメートルで端数のない10pがよいと最初に決められたのです。れんがの幅が決まれば、目的地の幅を1cmと定め、長さは自動的に21pとなります。厚さに関しては2寸という寸法が良好としています。これ以上薄いと焼成後変化したり、これ以上厚いと焼成に困難なためということでした。

この時に提案された210×100×60m/mという数値は関東大震災後の1925年(大正14)の日本標準規格(JES)第8号で採用、公布されました。そしてこの値は戦後の日本工業規格(JIS)R1250にも踏襲されています。したがって210×100×60m/mのサイズのれんがは昭和以降のれんがと見てよいと考えられます。

しかしJIS制定後も、すぐさま210×100×60m/mの寸法に日本中すべてのれんがが統一された訳ではありませんので、これ以上の大型のれんがに関しては必ずしも大正以前に製造されたものとは限りません。

D天日乾燥と乾燥室
れんが素地乾燥法の原点は、やはり太陽の下で干す天日乾燥です。
現在、海外で天日乾燥をしている土地では、れんが素地の周囲にビニールの布を置かれていることがありますが、これは降雨時にれんが素地を濡らさぬようおおうためのものです。楔文字入りれんが◆時代:新バビロニア朝時代(B.C.604〜561年)◆寸法:33cm×33cm×7.6cm→拡大画像(32kb)
れんがの製造は天日乾燥にたよっている限り、天候に左右されることは避けられません。このため日本では一年の約半期にわたってれんがの製造を休止していた地方もありました。天日乾燥だけを終えて、まだ焼成していないれんがの素地の状態は“日干しれんが”といえます。

北海道の野幌地方では成形したばかりのものを「青地」、乾燥を終えたものを「素地」または「白地」と呼んで区別していました。乾燥が終わると次ぎはいよいよ干場の素地を窯場まで運んで焼成する作業です。天候、気象条件に左右されないでれんがが生産を続行するためには効率のよい乾燥方法が必要となります。これは、人工的な強制乾燥です。この種の方式で日本に最初に導入されたのはコール式乾燥室という、れんが窯上部に発生する余熱を利用したものでした。

1889年(明治22)、日本煉瓦製造会社のホフマン窯の天井部分に設けられました。
 これは1887年(明治20)以前に当時のドイツで流行していた手法と言われ、設備が簡単でランニングコストも少なくてすむうえに、乾燥の能率は良好なものでした。なお、窯の上部に焼成前の素地のための乾燥室を設けるという発想は今日まで続いています。現在では乾燥されるれんが素地がベルトコンベアーによって自動的に乾燥室へ運び込まれるようになっています。

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