「瓦窯ニ代ルベキ登窯ハ明治十三四年ノ頃小菅集治監ニ於テ三河ヨリ職工ヲ雇ヒ来リ陶器窯ニ摸倣シテ試ニ之ヲ築造セシメタルヲ嚆矢ト」すると伝えられています。但しこれは東京における登り窯でのれんが焼成の最初です。関西においては1870年(明治3)に阪神間鉄道建設用れんが焼成で既に登り窯が使用されています。
どの地方からの技術が導入されたものであるかは明かでありませんが、北海道では「両登り」と呼ばれた独特の登り窯が稼動していました。これらの調査をされた松下亘氏の御教示によりますと、効率がよく大量生産に適していたが、この窯を完備していたのは大きな基本を有していた鈴木煉瓦、久保組、館脇煉瓦工場などに限られていたということです。この当時の登り窯は現存していませんが、今日でもれんがを時折焼くことのある登り窯が福島県喜多方市岩月町宮津字火付沢3564に残されています。
この旧樋口窯登り窯は、9の房(室)と最後尾に大きな屋根瓦用素焼き窯を1房もっています。各房は大口(焚き口)に近い下の段から順に、ひとつめ、ふたつめ、みっつめと呼ばれていますが、ひとつめに限っては、はいがまとも言うそうです。1房でれんがが950本焼けるので、1回の火入れで焼成されるれんがの数量は9倍に約8550本になります。朝8時に点火したとすると午前中いっぱい大口で焚き続け、午後から1房当り3時間ないし3時間半を費やして薪をくべます。薪は各房の両脇に設けられた障子と呼ばれる、燃料を補給するための小窓から投入されます。この作業を翌日の夕刻まで続けて「ここのつめ」まで燃焼させますと完了です。
瓦用素焼き窯には直接点火しなくても、余熱で素焼きが出来るそうです。窯出しは、そのまた翌朝に房内の温度が100℃程度になった時点で口を切り、順次行います。この工場の場合、現在では初日の午前中11時頃まで重油バーナーを用いて窯内を熱するため1200℃もの高温になると、そのうえ喜多方れんがは上薬をかけているため元来の登り窯によるれんがの焼ぐあいとは事情を異にしています。本来の登り窯の焼き方では焼成温度が700〜800℃程度なので、れんがの色合いは、みかん色になります。これが薪材を燃料としたれんがの色調なのです。
通常、燃料には松の薪がよいとされます。それは松に含まれる樹脂(やに)が、より一層燃料に有効であるという点もありますが、松に限らず針葉樹は押しなべて窯業用燃料として適するそうです。登り窯を焚くという作業は、中の窯業製品を熱する行為であるには違いありませんが、それ以上に窯全体を加熱する必要があるのです。この事を樋口家では、はち(登り窯。特に天井部分)をあたためれば中の品はおのずと焼ける、と伝えられてきました。
広葉樹の多くは燃料とした場合、燃えている所と極く近傍は高温になりますが、少し離れた所への熱の広がりがないと言います。その点、松などの針葉樹では燃料箇所だけでなく窯全体を熱する作用が働くらしいのです。 |