MAIZURU.NET れんが焼成と窯の変遷

@野焼きによるれんが焼成
乾燥の工程を終えた素地は焼成の段階へとおくられます。焼成はれんが製造の中で最も難しい工程と言えます。焼成工程では高い温度で焼きむらなく、いかに大量のれんがを焼きあげるかが最大の課題となります。

小菅監獄のホフマン窯とれんが素地の運搬(『日本の監獄史』より)この目的に向って焼成方法、焼成窯の改良が続けられてきたため、この視点から技術の発達史を編むことができるほどです。野焼き方は、積み上げたれんが素地に草木をかぶせて火をつけます。わずかな直火でれんがを焼く最も簡便な焼成方法で、今日でも東南アジア一帯で目にすることができます。きちんとした窯を築くこともせず、焼成温度も低く焼きむらも生じやすいので、良質なれんがを得ることは難しいと考えられます。焼成温度が低いため、焼き上げられたれんがの色合いは肌色に近いものです。

このほか英国式野焼き法というものもありました。しかし、わが国ではあまり用いられた例がなく、1886年(明治19)ごろ愛知県の東洋組の後身にあたる西尾士族生産所で実施された程度です。

ただし「監獄則図式」に掲載されている一房型の改良窯などは、英国式野焼き法の流れを幾分かは含んでいるようにも考えられます。

Aだるま窯
江戸時代以前からの屋根瓦焼成用の小型の窯です。中央に瓦を800〜900枚程度詰めることのできる空間があり、その両脇に一段低い炊き口をもち、正面から見ると達磨の姿に似ているところから“だるま窯”と名付けられました。この窯は現在でも、黒色のいぶし瓦を焼くのに使われています。

ダルマ窯(伊藤三千雄氏提供)窯の表面の小さなすき間(土の窯なので表面に生じるクラックなど)を粘土で埋めてしまうことにより、窯の内部を完全に密封することができます。窯内を酸欠、すなわち還元状態にしておいて、さらに松葉でいぶすのです。3日間ほどかけて黒瓦を焼くそうです。

だるま窯と見られる瓦窯でれんがを焼いたとする記述は少なくありません。「円形ニシテ左右ニ素地出入口ヲ附ケ前方ニ焚口ヲ設ケタル瓦窯ノ丸キモノ」ですとか「ダルマ窯ト称スル恰モ我国旧来ノ瓦窯ヲ一方口ト為セシ如キモノヲ築キ」などの文面が見られます。

『煉瓦要説』という本によれば、だるま窯には1700〜1800本のれんが素地を詰めることができたそうです。

B登り窯
「瓦窯ニ代ルベキ登窯ハ明治十三四年ノ頃小菅集治監ニ於テ三河ヨリ職工ヲ雇ヒ来リ陶器窯ニ摸倣シテ試ニ之ヲ築造セシメタルヲ嚆矢ト」すると伝えられています。但しこれは東京における登り窯でのれんが焼成の最初です。関西においては1870年(明治3)に阪神間鉄道建設用れんが焼成で既に登り窯が使用されています。改良窯(『監獄則図式』より)明治5年<法務省法務図書館蔵>→拡大画像(46kb)

どの地方からの技術が導入されたものであるかは明かでありませんが、北海道では「両登り」と呼ばれた独特の登り窯が稼動していました。これらの調査をされた松下亘氏の御教示によりますと、効率がよく大量生産に適していたが、この窯を完備していたのは大きな基本を有していた鈴木煉瓦、久保組、館脇煉瓦工場などに限られていたということです。この当時の登り窯は現存していませんが、今日でもれんがを時折焼くことのある登り窯が福島県喜多方市岩月町宮津字火付沢3564に残されています。

この旧樋口窯登り窯は、9の房(室)と最後尾に大きな屋根瓦用素焼き窯を1房もっています。各房は大口(焚き口)に近い下の段から順に、ひとつめ、ふたつめ、みっつめと呼ばれていますが、ひとつめに限っては、はいがまとも言うそうです。1房でれんがが950本焼けるので、1回の火入れで焼成されるれんがの数量は9倍に約8550本になります。朝8時に点火したとすると午前中いっぱい大口で焚き続け、午後から1房当り3時間ないし3時間半を費やして薪をくべます。薪は各房の両脇に設けられた障子と呼ばれる、燃料を補給するための小窓から投入されます。この作業を翌日の夕刻まで続けて「ここのつめ」まで燃焼させますと完了です。

瓦用素焼き窯には直接点火しなくても、余熱で素焼きが出来るそうです。窯出しは、そのまた翌朝に房内の温度が100℃程度になった時点で口を切り、順次行います。この工場の場合、現在では初日の午前中11時頃まで重油バーナーを用いて窯内を熱するため1200℃もの高温になると、そのうえ喜多方れんがは上薬をかけているため元来の登り窯によるれんがの焼ぐあいとは事情を異にしています。本来の登り窯の焼き方では焼成温度が700〜800℃程度なので、れんがの色合いは、みかん色になります。これが薪材を燃料としたれんがの色調なのです。

通常、燃料には松の薪がよいとされます。それは松に含まれる樹脂(やに)が、より一層燃料に有効であるという点もありますが、松に限らず針葉樹は押しなべて窯業用燃料として適するそうです。登り窯を焚くという作業は、中の窯業製品を熱する行為であるには違いありませんが、それ以上に窯全体を加熱する必要があるのです。この事を樋口家では、はち(登り窯。特に天井部分)をあたためれば中の品はおのずと焼ける、と伝えられてきました。

広葉樹の多くは燃料とした場合、燃えている所と極く近傍は高温になりますが、少し離れた所への熱の広がりがないと言います。その点、松などの針葉樹では燃料箇所だけでなく窯全体を熱する作用が働くらしいのです。

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